おはようございます。
ココロとカラダを整える快眠コンシェルジュのヨシダヨウコです。
新学期になって、新たなスタートに立った方も多いことでしょう。先日、そんな方々をサポートする現場に立ち会いました。緊張した面持ちと、これからのことに目を輝かせる感じが、とても見ていてこちらがムネアツでした。
どんなことがこれからあるのか?
どんな人に出会えるのか?
どんな嬉しいことがあるのか?
そんな全部が入り混じったような感じの目でした。
自分もいくつかの門出を経験してもちろん今があるわけですが、振り返ってみれば、すでに折り返しはとうに過ぎていて、後半戦をひた走る状態です。走ることもできずマイペースで歩く感じかもしれませんが。。
そんな中で、ふと感じるのが「人生の幸福」です。
これをお読みいただいている方はどんな時に幸せを感じるでしょうか?
好きな人といる時
好きなものを食べている時
自分だけの自由な時間がある時
趣味に没頭している時
などその人にとって「幸せ」な時はかなり違うはずです。それに一瞬の幸せか、この時代全部が幸せと思うか、範囲も長さもかなり差があるように思えます。そのぐらい幸せは個々に異なるもので、自分がある程度意識しないとその「幸せ」を感じることもないのかもしれません。
QOL(quality of life)
Quality of life(略語:QOL)という言葉があります。
一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念。~出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
とあります。
言葉にすると結構難しい感じです。概念ですから当然見えません。でも、自分でははっきりわかっているはずですが、それを意識するかしないでその存在は大きく変わるでしょう。
それを実感したことがありました。
昨年の秋に父が高熱で倒れた時のことです。コロナではなかったものの熱は高く39.7度にもなり救急搬送となりました。その高熱のせいで足元がふらつき後ろ向きに倒れた時に圧迫骨折を同時にしてしまいました。
骨折は搬送後、各種の検査をする上で判明しましたが、カラダの衰弱と同時でしたので病院側も私も「しばらくは入院して様子をみましょう」としか本人にも言えませんでした。このまま立ち上がることもできず寝たきりになるのでは? と私自身は毎日のように悲観的に考えていました。
ですが、途中のあれこれはあったにせよ、半年経った今、父は元気に自転車に乗ってグランドゴルフに出かけています!
年齢は85歳です。
腰の骨が折れ、体重も10キロも痩せても、今は一人で朝昼晩と自分の食事を作り、お仲間とのグランドゴルフなどサークル活動(コロナで室内活動は制限があるようですが)をし、この春、新しく担当になってくださったケアマネージャーさんにも「ほんと、一番今が幸せなんです」そう言っています。
こちら側からみれば、まだ腰も痛いはずだし、あれこれ手を焼きたくなるのですが、本人的にはそれがかえって煩わしく感じ、すでにヘルパーさんにもお暇をお伝えしていたようで、元の生活つまり「自分のことは自分でやる」に戻ったようです。
大丈夫なのか?
また、ケガをしないか?
など心配性の私は気が気でないのですが、ここ何年も「ほんと、一番今が幸せなんです」を口癖のように周囲の人に話す父を見て、「余計なことはしないでおこう」と改めて決めました。
もちろん遠出をする用事や高い場所の作業などはこちらで行いますが、無理をしない範囲、そして自分でなんとかできる範囲、自分で行いたい部分は取り上げないようにしています。
3度目のワクチン接種も終わり帰省した時は、前々からの約束で補聴器を作りにいきました。コロナ禍で途絶えたコミニケーション不足と骨折のせいなのか、検査したところかなり聴力に問題が出ていましたので、QOL、つまり生活の質を維持できるように少しだけお手伝いをしてきました。聴力が上がれば更に周囲の方とコミュニケーションも楽にできるでしょうから、またそこで新たな気づきや興味も湧くのではいないかと思っています。
幸せとは何か?
父の話ではありませんが、幸せはそれぞれだと痛感しています。
人からどう見えていたとしても、本人がその状態に満足しているのであれば、それが何よりであり、それが一番だと思います。
以前から「幸せ」について考えてきましたが、この春から幸せの研究を始めています。
私の考える「幸せ=ウェルビーイング=健康」の図式をもっと多くの方にどうやって伝えていこうか、と考えてのスタートです。
幸せは必ず「健康」とセットでやってきます。
どうぞ今宵も良い眠りを。